2026-5-26 複雑性の爆発

ルーマンの話を続ける。彼の組織論の前提にあるのは、社会が高度に分化・複雑化している、という認識である。少し前の社会ならば、身分や宗教、国家など比較的シンプルな構造、あるいは秩序で統合されていた。しかし近代社会は違う。社会が政治、経済、法律、学問、医療、マスメディアなどさまざまな機能に分化し、それぞれが独自のルールや価値基準で動いている。例えば経済なら利益/損失、法律なら合法/違法、学問なら真/偽が判断基準であり、かつての「善/悪」に代表されるような共通の価値観は既に存在しない、と言うのがルーマンの見立てである。しかもそれぞれの分野は高度に専門化し、門外漢には言葉の意味すら分からない状態に陥ってしまっている。

ルーマンはこのような状態を「複雑性の爆発」と呼び、この混乱を縮減するための道具立てこそが「組織」であると見ていた。この認識は同時期ドラッカーが、企業だけでなく公的機関や病院、NPOなどさまざまな組織こそ社会を支える存在である、と主張したのとかなり近い。実際のところ、ドラッカーも「専門家は言葉が通じないから、それを翻訳して使えるようにするのもマネージャーの仕事」という趣旨のことを述べている。両者とも、社会を実際に動かしているのは崇高な理念や道徳ではなく、高度に専門化された組織である、という見方が共通している。

筆者の考えでは、ルーマンとドラッカーはここからが少し違う。前回述べた通り、ルーマンは組織を「複雑性を処理するコミュニケーション装置」と見ており、そこに幸せや生きがいといった個の人間的要素は出てこない。というか、彼にとって組織というものは自己生存を第一目的とする有機体であり、構成要素である個人の思いは(それが組織に対する具体的な働きかけにつながらない時点では)単なるノイズでしかない。一方のドラッカーは経営者の理念やビジョンこそが組織の礎だと主張し、加えてマネジメントの3大目的の一つを「人を生かすこと」とした。こちらはかなり人間臭く、思想の根底に人の善意に対する信頼がある。

企業支援の実務者としては「どっちも要るよな」というのが本音である。ドラッカーだけ読んでいると「良き経営者」に対する期待が強くなりがちで、思想教育っぽくなる。かといってルーマンだけだと社員が部品のように見えてしまい、何ごとかを機械的に変えたくなる。実際の支援現場では、仕事に携わる人が自ら意味を感じ、方向性を共有した上で具体的に仕事のやり方を変えていく、という手順でないとうまくいかない。そんなことを言っている研究者はいないかもしれないが、ドラッカーとルーマンの間にワイクのセンスメーキングを置くと、ちょうどよい塩梅の支援体系ができそうな気がする。

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