2026-6-6 皮膚感覚とロジック
筆者のように長くスポーツに取り組んできた人間にとって「体で覚える」というのは昔から慣れ親しんだ感覚である。同じ動作を幾度となく繰り返して、体が自然に動くようになるまで練習しなければ試合では使い物にならない。日本の文化では、スポーツに限らず芸事や職人の世界でも大昔から同様のことが言われてきた。「守破離」や「技は盗むもの」といった数々の表現がそれを示している。会社に入って同じようなことを言われたことのある人は多いであろう。
ところが西洋の経営学や組織論がこうした身体的感覚をテーマに研究を始めたのは、前回述べた「実践論的転回」の時代、早くても1970年だからである。我々日本人から見ると「なぜそんなに長く放っておかれたのか」という気持ちになるのだが、今回はこの理由を考えてみよう。
考えられる一つは、西洋起源の「学問の合理性」である。学者にとって何より大事なことは、自分の主張する説が「科学的に証明でき、再現可能であること」である。その点、経営学における「ロジック」や「システム」は多くの事例を定量的に分析し、評価し、あるいは実験によって証明することが可能である。ところがこれが身体的感覚になると、例えば「顧客がふと目をそらした瞬間に絶妙の間で放り込む営業トーク」のような現象は、いかに精緻に説明しようとしても最後は感覚の話になってしまう。これでは論文として他の学者を納得させることは難しい。
もう一つの理由は西洋に根付く「哲学」の思想である。西洋ではデカルト以来、「心身二元論」、すなわち人を人たらしめているのは「心」であり、身体は心の従属物、心の指示に従って動くものという考え方が主流であった。心と体を一体のものとみなす東洋的な思想とは根本から違う、この西洋的思想が経営学が「実践」に焦点を当てることを妨げてきた。なぜなら、実践は心が命じた通りに行われた結果に過ぎないからである。
20世紀半ば以降、哲学の世界にフッサールを始めとする「現象論」、特に「身体論」が登場すると様相は一変する。彼らは心身二元論を越え、身体にも知恵が宿る(身体知)のだと主張した。サッカー選手が一瞬でパスコースを判断するとき、いちいち頭が状況を分析してからなどということはない、といった我々にとっては当たり前の感覚がやっと日の目を見るようになった。経営学における「実践的転回」の誕生には、その土壌として現象論哲学がどうしても必要だったのである。
企業支援の現場では、現象論的な皮膚感覚と二元論的なロジックの両方を使いこなす必要がある。まず、経営者からのヒアリングや現場視察における「違和感」を大事にしなければならない。プロのコンサルタントとしての実践知である。次にこれをロジックや構造に変換し、自分以外の人も理解できる説明体系に落とし込まなければならない。施策を打ち出したらこんどは現場の実践知になるようかみ砕き、根気よく沁み込ませなければならない。皮膚感覚とロジックのいわば「二刀流」こそが筆者にとっての理想の姿である。
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