2026-6-8 知的コンバット

SECIモデルの話を続ける。多くの人はSECIモデルを「職人の背中を見て学び(S)、それをマニュアルに書き起こし(E)、マニュアルを集めてマニュアル本を作り(C)、新人がそれを読んで覚える(I)」という、単なる「業務の見える化ツール」というふうに浅く解釈している。しかし、野中が本当に言いたかったのは「MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)の熱い生成プロセス」であり、その中心にあるのが「知的コンバット」である。

知的コンバットは、SECIモデルの「共同化(S)」から「表出化(E)」へ移行する局面の核心的なプロセスと位置づけられる。それは単なる対話やブレーンストーミングとは一線を画す、濃密な「魂のぶつかり合い」ともいえる議論である。

一人ひとりが「自分は何を良いと思うのか」「この事業を通じて社会をどう変えたいのか」といった本音をさらけ出し、互いの暗黙知の奥底にあるものを引きずり出す。この議論により、「共同化」のプロセスで得られた言葉にならない共感覚が、象徴的なフレーズやメタファー、あるいはストーリーに変換され、言語(形式知)として共有される。現象学的に言うと、個人の「絶対的主観」を「相互主観性」に発展させるプロセスと言える。ときにそれは、ひとりひとりの暗黙知の範囲を越え、それらすべてを包含する高次の概念に昇華さえする。

魂の議論という究極の摩擦を経て削り出された言葉(形式知)は、単なるマニュアルの文字とは重みが全く違う。それは、その組織が血を流しながら一緒に生み出した「私たちらしさの結晶」であり、だからこそ皆が我がこととして分かち合う(連結化)意味のあるものである。

MVVとは通常、経営陣が会議室できれいに言葉を整え、「わが社の理念はこれだ」と上から降ってくるものである。しかし、それでは社員の「身体」や「魂」には響かない。野中は「現場の野生の思考を呼び覚ませ」という言葉を好んだ。彼のSECIモデルが描くのはきれいな、しかしどこか血の通わない形式知でなく、現場の熱い主観からMVVが湧き上がってくるプロセスである。こういうふうに生まれてきたMVVなら、「額縁に飾られて終わり」ということにはなるはずもない。

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