2026-6-14 エフェクチュエーション② 

既に何度か述べたように、実践的転回では「先に考えがあってその後に動く」ではなく「動くことの中に思考がある」と認識する。エフェクチュエーションの「許容可能な損失」や「クレイジーキルト」の原則はまさにこれである。起業家は今失っても痛くない範囲でまず動き、その結果を見る。先々のことまで読んでからではなく、「何か面白そうだから」人に声をかけるのである。

エフェクチュエーションと実践的転回は外部環境の捉え方も近い。実践的転回では、環境は所与のものではなく、人の主体的なアクションによって「後付けで作られるもの」と考える。間違った地図で雪山を無事に降りることができたというセンスメイキング理論の例えはこの考え方の代表格と言える。エフェクチュエーションも、市場機会は最初からどこかに落ちている宝物ではない、という捉え方をする。まず自分が動き、他者を巻き込んでいく相互作用の中で事後的に形作られるものだと説く。

「手中の鳥」も実践的転回の文脈にある。そもそも起業家が「自分の手の中にある鳥(手持ちの武器)は何か」と考えるとき、その武器とはその人に固有のものである。その人の生い立ちやこれまでに培われた思考パターン、身体的スキル、人間関係のネットワークなどの中で生み出され、育ち、今や持って生まれた人格と分かち難くなってしまったもの、と考えることができる。「手中の鳥」に関する3つの問い、「私は誰か(Who am I)」「何を知っているか(What I Know)」「誰を知っているか(Whom I know)」は、この属人的な「身体知(暗黙知)」を引き出そうとするものである。 

「いま手元にあるもの」だけで、かつ「損をしても痛くない」範囲で、誰かに話を持ちかけるだけのことだから、起業家にとっては特段難しい行動ではない。彼らにとってはむしろ当たり前のルーティンと言えるかもしれない。しかし、そのルーティンがたまたま起こす結果(レモネード)が起業家を取り巻く環境を変え、彼らのビジネスが成功しやすい方向に向かうようになる。ルーティンは「行為の処方箋」として処方通りの結果を出すべきものとふつうは考える。しかし、繰り返しのルーティンも「動き」には違いない。動いてみた結果、外部との関係性によって当初想定しなかったパフォーマンスを生むことがあるのも事実である。エフェクチュエーションはそうした「想定外のパフォーマンスを意図的に生み出す」ための理論と言える。

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