2026-6-22 プロフェッショナルの倫理とは

ドラッカーはプロフェッショナルの倫理について「知りながら害をなすな」という短い一言で定義した。プロであっても、顧客に対して必ず良い結果をもたらすと約束することはできない。最善を尽くすことしかできない。しかし、「知りながら害をなさない」という約束はしなければならない、というのである。

シャインの「クリニカル・アプローチ」にも同じニュアンスがある。伴走者としての「プロセス・コンサルテーション」にせよ、対等なパートナーシップを示す「ヘルピング」にせよ、彼の提唱する手法にはクライアントや彼らが直面する課題に対する謙虚さ、もっと言えばある種の「畏怖」が感じられる。コンサルタントにすべてが解決できるなんておこがましい、我々にできるのはせいぜいクライアントに寄り添い、少しでもいい方法を一緒に探すことくらいだ、というスタンスである。そもそも「クリニカル(臨床的な)」という名称自体が「頼まれもしないのに首を突っ込まない」という意思表示を含んでいる。

おっしゃる通りであろう。医者に例えて考えてみる。医者から見れば、患者はどこかが痛いとか調子が悪いときにしか自分のもとを訪れない。限られた時間で原因を特定し、当面の痛みを取るための薬を処方する。ここまでで限界である。「暖かくして良く休んでください」とでも付け加えられれば上出来であろう。

この医者は本来ならば一人一人の患者としっかり向き合い、その痛みの原因となった生活習慣や栄養状態、ストレス環境にまで切り込んで分析したいところである。その上でその人がより健康な生活を送るための根本的、かつ総合的なプランを描き切り、それが具現化するまで伴走する。すべての人にそんなことができれば、人の寿命は優に100歳を超えるかもしれない。

実際にはそんなことはできない。主治医を自宅に招いてしょっちゅう診てもらっている、というお金持ちも存在するのかもしれないが、少なくとも私はまだ見たことがない。弁護士であれカウンセラーであれ、対人支援業の限界がここにある。限られた時間、回数、費用で最善の結果をもたらし、関与が終了した後でも少しずつ自力で良い方向に向かえるよう、助言を行うしかない。

同業の経営コンサルタントと話をすると、「企業の顧問になりたい」という話をよく聞く。確かに顧問契約をいただければしっかり寄り添った伴走支援ができる。ぶっちゃけた話、自分たちの生活も安定するのでその企業に集中でき、おそらく支援の質も上がる。我々から見れば「どうしてそうしてくれないのか」と言いたいところである。しかし、実際のところ、その願いはかなりの高望みだと思わなければならない。それはお金持ちが「この医者なら自分だけの主治医にしておきたい」と考えることと同じくらい、レアなケースである。だからもし、そんな機会が巡ってきたのなら、コンサルタントはそれこそ「全人格を賭けて」、そのクライアントのために尽くさなければならない。

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